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Maryam'sHP

maryam0511.exblog.jp

イランのTEHRANより日々思いついた言葉を発信しています。

想いの証







ある方より 


”自分のこころ以外には、なんの証もない想い” 

十字架  ~ あなたの説いた愛を背に ~ より)



ということについて、

コメントを頂戴いたしました。<(_ _)> 






外的要因に変化するものは想いでは有りません。
ひとつのいのちが唯一のように、想いも唯一のもの。
想いに証は必要ないけれどもし有るとしたら、

いのちそのものが証になる のかもしれませんね。


想いが交差したとき、その想いを守り通すこゝろを持つ事かな

と私は思っています。






*************




わたしのお返事




想いのような無形のものの証って難しいですね。

それは想いだけでなく、

過去の出来事・・・だけどそれは過ぎ去った出来事になってしまったこと、

などにも言えるかもしれません。


目は口ほどに物を言う という言葉がありますが、


言葉にしなくても、

瞳に想いを込めることもできますが・・・


何もいわなくても、相手にそれを感じるだけの感受性のようなものがあれば、

瞳を向けただけで、相手はその気持ちを、実際に受け入れるかどうかは別として、

瞳に込められた想いを察知するでしょうね。

もちろんそれは瞳、視線だけではありませんけれど。


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証・・・には有形、無形のものがあるとおもいますが、

相手の心に、脳に刻まれていれば、

証 といえるのかもしれません。

ただ、相手にその証というものを、常に水(想い)を溜めておくために、

水(想い)を掬い続けるように、心や記憶として保ってもらわないと

実際に顔を合わせる時間がある場合は別ですが、、、

相手が遠い存在である場合は、なかなか難しいでしょう。




また実際に相手と共有した時間や想いが、過去のある時点で存在したとしても、

その過去の出来事を相手がすっかり忘れてしまっていたら、

それもまた、過去のある時点で証であったとしても、 

現在では 証 の意味をなさないものかもしれませんし。



そう言う意味では

いのちそのものが証になる

これは強烈な証でしょう。


ある人のいのちそのものが証であるならば、

その人とある人は、

ぴったりと重なる部分を、

多かれ少なかれ有しているのかもしれません。













by Maryam051144 | 2015-01-03 05:16 | 奇譚

by Maryam F D