無邪気ほどオソロシイものはなし・・・
(むすこが幼稚園だった頃に、黒鉛の粉末を使用したイランの画法で描きました。モデルは主婦むけの月刊誌の表紙を飾った、イラン美人のお嬢ちゃんでした。)
殺生という記事に関して・・・
無邪気というものほどオソロシイものはないと私は思っています。
殺生しても、それは戯れ事だったり、
殺生したり、相手の心が悲鳴をあげているのがわからない人というのが
一番オソロシイと想うのです。
無邪気・無意識・・・やめさせようにも、
その人自身にある行為をしているという自覚がないんですから!
そういう相手が自分の上様の存在であったりして、
その人の所望にどうしても従わざるを得なかったり、
あるいは相手を上様と信頼しきって無防備でお相手してしまうと・・・大変なことになります。
そのような相手には一生懸命対応して、身を滅ぼすことになっても、
相手は、いや~~~~ちょっとふざけてみただけよ!なんてことを
簡単に仰り、犬死になります。
されている側の心が悲鳴をあげようとも、可愛がってあげている・・・
っと勘違いしているような人もいますし。
そうそう、大事なことを書き忘れました・・・
私もまた無邪気であり、無意識なんです。
気づかないうちに加害者になっていることがあります。
人というものは優しい、心和む存在でもあり、
時に意識的であるにせよ、無意識であるにせよ、
相手を傷つけてしまう存在でもあるのだろうと思うのです。
年を経ると必然的に私も、
周囲の人にとっての上様の立場になる場合もでてきます・・・
実際私は今、空手の稽古で後輩を指導することがありますから。
そういうときに、私の何気ない言動が相手をひどく傷つけてしまうこともあるし、
これまでもあったのだろうと思うのです。
かといって、無意識なだけにこれは、防ぎようもない部分もあります。
今までも、今も、これからも、被害者になったり、加害者になったりしながら、
日々を過ごしていくのだろうと思うのです。。
だからこそ、できるだけ自分の言動・相手の言動を、
客観的に眺められる意識でありたいっと、私は思っています、
・・・そう、確かに私も無意識に、無邪気に人の心を”切りつけた”ことがあります。
ある部分、どうしょうもなかったことでもあったのかもしれません。
そして何れにせよ、そういうことが起こってしまった場合は 再び は有り得ない
という覚悟のようなものが、両者の側に存在してれば、まだ救いがあると思うのです。
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私には義姉妹は6人います。そして義両親も有難いことに健在です。
小姑が6人!!
イラン人女性でもこういう人(夫のように6人姉妹のいる人)のところへは恐れ入って、
なかなか嫁がないのではないか・・・っと思います。
6人とも個性的で私は皆が好きですよ。
それでも好きなだけじゃ、受け入れがたい言動も確かにあります。
ここ1・2年ぐらいは、そういうことがあったときでも、
以前のように、悶々と胸の中にためてしまうのではなく、
自分の姉達に対するのと同じぐらい?!恐るることなく、
言いたいことをサラぁ~っと言ってしまえるようになりました。
そして、かなり言い難いことだけど、
それってなんかへんじゃない? おかしくないかい? って感じた時は、
えっ? あれっ? って感じたままに、そのびっくりが
思わず口から言葉になって飛び出てきた・・・が如く、
この無意識、無邪気を逆手にとって、
まるで、私個人の視点から、口から出てきたんじゃない感じで、
ボソ っと ってことは えっ!こういうこと( ̄◇ ̄;)?? っといった感じで、
発するようにしています。
これによって、今までついつい鬱憤になっていた私の想いを、
胸の中に溜めてしまうこともなくなったし、
言われた方も私が発した言葉も、言葉の発し方も、感情的なものが感じられないためか、
感情を煽られることは、あまりないようで、
感情の衝突には至らず、自身で発した言葉の、私の受け取り方にビックリしたり、
バツの悪そうな表情になりますが、後腐れがないようなのです。