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イランのTEHRANより日々思いついた言葉を発信しています。

カテゴリ:おとぎ話”春”( 9 )

春<9>




春は、しばし言葉を発するのを止めようか・・・っと想ったのだが、

晋吉の様子をみると、彼は己の言葉をうるさがっているどころか、

耳を澄まして聴き入っているようにみえたので


さらに、言葉を続けたのだった。


ここに誰かが居るのに気付き、

それが村医者の坊、あのお屋敷の人だ!っと思った時から春は、

頭と心の中に、次から次へと清水のように

いろんな事柄が湧き上がってきたのだった。


”春はひどく痩せておるよな。。。?病人のような気味の悪い白い顔をしとるか?

春の顔を見るものは皆、口を揃えてそんなことを言うのじゃ。

みたところ 村医者さんの坊 もあまり顔の色は良くないようだが・・・”


っと問う春のひどく真剣な表情から、

この事柄に関しては是が非でも、将来の村医者の答えをどうしても聞かねば気が済まない


っという彼女の強い想いを感じた晋吉は、



”色白は七難隠す・・・とかいうて、

白い肌は綺麗なおなごの証ではあらぬのか、?

己の姉はどこかへ出かけるときは、

少しでも白くしようと、顔に粉のようなものをたーんと塗っておるぞ。

おなごの肌とは、白いものではなかろか。”



晋吉は、やっとこれだけのことを発することができたのだった。



その言葉を聞き春は、はにかむように笑うと、

直ぐにまたこう言葉を続けた、





”兄さん、名はなんと?姿を、あまり見かけぬな・・・

兄さんも、あの子らとは遊ばぬからな。”

春は、父ちゃんと、母ちゃんに習って、すこ~~しばかり字は読めるが

書は読めん、まったくわからん。


村医者さんが、父ちゃんと母ちゃんにゆっとったよ、

有難いことに、孫は医者になって当たり前だ、と想っているようじゃ、

年の割に、落ち着いておって、良く見、良く聞くことができるから、

医者に向いておる・・・っとな。”





”己の名は 晋吉 じゃ、春・・・”


っと言って

晋吉の身体にはまた、熱いものが走り抜けたのだった。

己の口から 春 という名が突いて出てきただけであったのに、


ひどく乱れた心を意識し、

この己の動揺が、春 に伝わらなければよいが


っと乱れた心で晋吉は想ったのだった。










春<10>






己の動揺を誤魔化すかのように、晋吉は医者の息子らしくこういった。


”身体の具合はすっかり良いのか?

陽が傾いたの。陽が落ちたら急に寒くなろうぞ。

風邪をひくから、家路を急ぐが良い。”



春はまだ話し足りなさそうに、物足りなそうな素振りを見せたが、

晋吉の様子と言葉を、村医者の言葉と同じような気持ちで受け取ったのか、

小さく黙って頷いた。


その様子をみた晋吉は、何の疑いもなく、

素直に己の言葉を聞き入れた春の様子に、心が咎めたのだった。


春の瞳が敬意を湛え、上から下まで晋吉の姿を眺めた後、

彼女はゆっくりと頭を下げ、くるりと背を向け、駆け出していった。


緩(ゆる)やかに、豊かに流れるような髪を揺らしながら、

次第に遠ざかって行く春の姿を眺め、



春との別れは、己が言い出したことなのに・・・

あの娘も己も、まだ話し足りなかったのに・・・



晋吉の心は、後悔していた。





遠くへ走り去って見えなくなってしまった春の姿から、

己の足元に視線を移した晋吉に、

つい先ほどまで、春の豊かな黒髪を結っていた、

鮮やかな紅色をした布が落ちているのがみえたのだった。



晋吉は両膝を曲げ、前かがみになって腕を延ばし、

恐る恐る触れると、それをゆっくりと両方の手のひらの中に包み込んだのだった。



そして、


これは確かに春の分身なのだ・・・


っという想いが強く湧き上がってくると、


晋吉は両の手にギュッと力を込め、


今の今まで、己が身近かに感じていた、

春の血潮のように赤い色をしたその布を、

胸の前へと、引き寄せたのだった。










春<11>



春の母 初 が亡くなったのは、晋吉と春が土手で再会した次の年の晩夏だった。



初 は、行商に出向いた先で荷を売り、

得た代金で村で売れそうな品物を買い入れ、

それを再び背負って、夫と娘の待つ村へ向かっていた。



そしてその帰途で、川に渡した吊り橋から転落したのだった。

吊り橋といっても、その川は大きくもなく、谷川でもなく、

雨季でも大した水嵩にはならなかったし、

特別に流れが早かったわけでもなかった。




初 がその橋を渡ろうとしているのを、

少し離れたところから見ていた村人の話によると、


夕刻というには早く、まだ陽が照っている明るい時刻で、視界も悪くなかった。

唯、その日は晴れていたが大変、風の強い日で、

春の母は吊り橋を渡り始めてまもない場所で、背負った荷が風に煽られたのか、

吊り橋が大きく揺れたのだろうか、突然均衡を崩し橋から転落していった。



その村人は急いで川に入って彼女を抱え、すぐさま川からその身を引き上げた。


が不運にも、初 が橋から落ちた場所の下には岩があった。

そしてその岩に、彼女は頭の側面を強打していたのだった。

岸に引き上げた時には、彼女は意識不明であったが、まだ微かに息をしていた。

しかし、まもなく息を引き取った


とのことであった。




おそらく 初 は、疲れが溜まっていたのだろう、

そして、彼女の荷がもう少し軽かったならば、

彼女の身がもう少し重かったならば、

風に煽られ均衡を崩しても、橋から転落することはなかっただろう。

強風が吹いていなければ、全く何事もなく橋を渡りきっていただろう。


そしてまた、転落した場所に岩がなかったら、命を落とす事もなかったのだろう・・・


っという不運が幾つも重なった事故であった。






春<12>




春の両親には、大した身寄りも、頼りとなる身内もなかったのだが、

こんな風に突然、幼い娘 春 を遺して逝かなければならなかった 初 、

そしてこんなに突然、大切な人に逝かれてしまった春の父 清治 の心持ちは如何程か・・・

っと慮る、村の人々の力で、葬儀はとりおこなわれた。



このように、葬儀に村人の協力を得られた理由(わけ)には、

亡くなった 初 の人柄というのもあったろうが、

その多くは、晋吉の祖父、修吉の力添えであった。




修吉は訃報を耳にすると、何かの間違いではないか・・・

っといった面持ちで、まるで雲の上を歩いているような足取りで

無言で自室へ向い、しばらくの間そこに篭っていたが、

やがて、喪服に着替え春の家へと出かけていったのだった。



修吉が到着したとき、春の小さな家には、既に村人の多くが集まっていた。


喪主である清治は、普段にも増して弱々しく、消え入りそうな姿で、

変わり果てた姿となって帰ってきた妻の傍に座っているのが精一杯であった。


修吉は清治の隣に腰を掛けると、


”もう何も心配するでない。
そなたは、そこで安らかにゆっくりしていられよ・・・”


っと、今はもう屍となった 初 に向かって語りかけたかと思うと、

スクっと立ち上がり、初 の葬儀を取り仕切り、

細かい指図を、村人のひとりひとりに示し、

葬儀費用のほとんどを、彼が支払ったのだった。



修吉のその言動を目の当たりにした村人は、

徳の高さとはこういうことをいうのだろう・・・っと感じ入り、

彼の指示に従うのが 死者への供養 と解し、

我も、我もと彼の指示を仰いだのだった。












春<13>



春の母、初が亡くなったという知らせを受けた時の、

祖父修吉 の衝撃は一通りではなかった。


そしてその様子は、


生死に関わる緊迫した状況にも、動揺することなく、

常に冷静に物事を判断し、的確な措置を施す 医師 として、

数十年という長い間、村人が信頼を置いている

祖父 でも、これほどまでに心を揺るがすことがあるのか・・・



っと



晋吉が多少の驚きを感じるほどであった。


但し、修吉は知らせを受けた直後は衝撃のあまりに、

精気を失ったかの如く自室に入っていったものの、

しばらくして再び皆の前に姿を現したときには、普段の彼の様子に戻っていた。



働き者で正直で、善良な一人の村女の唐突な逝去を、

悲嘆しないものは、一人としていなかったのも事実であったから、

修吉の悲しみが如何程のものであろうとも、それを不審に思うものはなかったのだが・・・



我が祖父でさえこの悲嘆。

母急逝という事実を前に春は、どんなふうに過ごしているのだろうか



っと、晋吉の心は気が気ではなかった。



正直なところ晋吉には、初 という一人の女性を亡くした悲しみというものは、

ほとんど感じることができなかった。

晋吉の心痛の全ては 母を亡くした春 に起因するものであった。


そして、


11歳の己に何ができるというのか。

お悔やみの気持ちや言葉が、齢8つの春に何の支えになるというのか・・・


初 の急逝を晋吉は、亡くなった彼女を悼むものとしてよりも、

一家の柱であった、初という母親を亡くした春の、力にも心の支えにもなってやれない、

己の矮小さ・不甲斐なさとして噛み締めていた。


そしてそれほどまでに、春を愛おしく感じている、己の気持ちの甚だしさを、

晋吉はこの時自覚したのだった。







春<14>



一家の大黒柱であった 初 を亡くした春の家は、

比較的裕福な暮らしをしていた 清治 の兄が、

病弱な弟と姪を不憫に思い、

二人が命をつないでいける程の援助を言い出してくれたことによって、

なんとか家計が回っているようである・・・


っという噂を、診療所にやってくる村人から晋吉は知った。


晋吉は春の母 初 の死をきっかけに、医者になる志を強くした。



この出来事がなくとも、医者以外に己の未来を考えるだけの勇ましさを、

晋吉はもともと持ち合わせてなかったし、

この家に生まれたサダメとして、医者という十字架を負っている

っとそれまで、少なからずも彼は考えていたのだが、

初 の死後は、自らの選択として村医者の十字架を受け入れるようになり、

祖父や、父から認められる程に医師としての技術も知識も身につけ、

早く診療所の仕事を任せられるようになりたい

と晋吉は思うようになっていった。



っと言っても、

早く一人前になって春を娶る、春と夫婦になって彼女を支え、護りたい

などということを、彼は思い描いていたわけではなかった。



何はともあれ、自分が一人前にならなければ、

人を支えてやることなどできるはずもない


っという世の理を察知したからかもしれなかった。



彼は、学業に余った時間があれば、

祖父や父の書斎の専門的な医学書を紐解くようになり、

父に急患が訪れたときは、診察室で父の傍らに控えるようになっていた。




勿論、春への想いを忘れたわけではなく、

春に逢いたい という気持ちはいつでも抱いていたし、

彼が 春 と出会ったばかりの頃のような

”心惹かれる可愛い娘(こ)”っといった、”淡い恋心”だけでは、

どうにもならない現実を理解する年齢になっていく程に、

ますます 春に逢いたい っという気持ちは、

晋吉の心に強く募っていったのも事実であった。



そして日々医者を目指し学ぶことが、彼のその衝動を抑制し、

春に逢う、春の前に現れるにしても、春の支えになれなければならぬ・・・

っと晋吉は、己に言い聞かせるようになっていた。



15・6歳になった頃には晋吉も、

春の家と自分の家の生活の様子の甚だしい違いが、どんな意味を持つのか?

っということも、受け入れ難くはあったがはっきりと理解するようになっていた。


社会の仕組みを理解するということは、

己の可能と限界の境を垣間見ることなのかもしれぬ・・・


っと彼は感じていた。



それでも少なくとも・・・


己は村医者としてならば、病弱な春を一生支え、護ってやれるはずである


っと晋吉は強く信じていたのだった。










春<15>





晋吉が父の診療所に顔をだすようになって、3・4年程経過した頃、

彼は17歳になっていた。

一人前とはまだまだ言えないものの、

ありきたりの感冒症状や、ちょっとした怪我の処置・処方ぐらいは身についていた。


17歳となった彼は、春と出会った頃の少年の面影を残しておらず、

学業のために頭を使いすぎて、体重の方には栄養が回らず、

背の高い祖父・父の血を受けて、

上背だけが勝手に伸びていってしまったような感を、人に与えていた。


おまけに、分厚い眼鏡をかけ、書籍を読んでいても、診察助手をしていても、

村の通りを歩いていても、その有り余った上背を持て余すかのように、

いつも前かがみの姿勢をしていた。

年齢の割に、いつも少しくたびれたような面持ちにみえ、

かと言って、不機嫌な様子は感じられず、

落ち着いた彼の物腰や、低いけれど聞き取り安い声や、穏やかな話し方は、

父親よりも祖父のそれを受け継いでいた。



春は、風邪などのために診察に訪れる時、

また、父親の具合が悪く付き添いとしてやってくる時でも、

以前からの習慣のままに、晋吉の父のところではなく、祖父修吉の元を訪れていた。

それでも年に数回程ではあったが、修吉が不在の折には、

診療所で晋吉と春が顔を合わせることもあった。




春は、母が亡くなる前の年に晋吉に初めて逢った時から、

晋吉 の名を記憶していたし、その記憶の中の彼の姿と、

彼女の細い顎を咽喉元から離して、上に向けなければ、

その顔を見ることができないほどに、背丈の高い男性は、

ひどく異なって見えるけれど、


背丈と同じく、縦に引き伸ばされた彼の面差しと、変声期後の声は、

命の恩人、家族の恩人とも言える、村医者さん(修吉)に大層似ている・・・


っと晋吉の横顔をチラリと覗き見るたびに感じていたのだった。



また、幼かった二人が偶然に出逢ったあの時に春が抱いた、

彼への尊敬の念は益々強いものになってもいた。


それは、近年村の者達の間で語られる、


”村医者さんの立派な後継ぎのおかげで、この村は子供の代、孫の代までも安泰である”


っという評判こそが、あの時晋吉に対して抱いた尊敬が、

全く正しかったことを裏付けるものだと、春は感じていたのだった。






春<16>



少年よりも、少女の方が早くに、身体的成長期を迎えるためか、

春の幼馴染の 雪 が、婚礼をまもなくに控えていた年には、

晋吉と同年代の娘たちはほとんど嫁いでおり、

彼よりも少し年若い娘たちもまた、次々と縁談がまとまってゆき、

多くの娘が、嫁ぐ準備をしていた。


そう言う意味では、華奢で幼く見えたかもしれなかったが、

数え年で15という齢(よわい)の春も、村の年頃の娘の一人には数えられていた。


しかし春は、その当時でも貧しい部類にはいる食生活をしていたことも原因し、

また生まれつき骨格が細かった、太れない体質であった等の、遺伝的なことも重なり、

同じ年頃の娘が、ふっくらと丸みを帯びて、

女性特有の体へと変化していく年頃になっても

それらの変化は彼女から、ほとんど感じられることはなかった。



それでも、血管が透けてみえる程に青みを帯びた白い肌、

その透けるような色の白さを一層引き立てる、

豊かな黒髪と澄んだ黒い瞳の、春の整った美しい顔に、

胸ときめかしている村の若者は、実は、晋吉以外にも数人いたのだった。





幼少から虚弱であった春も、十歳(とう)を超えた頃からは、

緊迫した病状に陥ったり、数日間も高熱を発したり、

肺炎を併発することは希になっていた。

人並みの体力の半分以下しかなく、

相変わらず、一年中風邪をひいているような、

弱々しい日常を送ってはいたけれども・・・



そんな生まれつき虚弱な春の健康状態を、

春の父親のように我が身以上に心配し、

それゆえ、村医者の重い十字架さえも自ら背負う決意をした、

晋吉の心も本物であれば、


己以外にも彼女に心惹かれている村の若者が、

どれほど嫁として春を所望しても、

身体が弱く、子供を産むことさえも危ぶまれる娘は、

農家(いえ)の跡取りの嫁として、全くもって不適切であるという一点から、

春の縁談がまとまることはほとんど有り得ないであろう、

っということを ”心底有り難い”っと思っているのもまた、晋吉の心だった。





病弱な春は嫁としてどこの農家(いえ)からも認められないことは、

確かに晋吉にとって”大きな救い”であったがしかし、

それは同時にまた、10歳(とお)の頃から春に並々ならぬ好意を抱いてきた晋吉が、

春を己の嫁として、家の者から承認してもらうこともまた、有り得ぬ事をも示しており、

その点では晋吉とて、村の農家の跡取りと全く同じ立場であった。

晋吉の場合はその上に、村医者の家柄の嫁として、春がそれに相応しい家(いえ)の娘であるか・・・

っという問題も存在してもいたが。


この変え難い事実は、個人よりも絶対の重きを置かれる 家(いえ)

という存在を感じた時から、彼は認識していただろうし、それ故に

”己は村医者としてならば、一生春を支えていけるのだ”

っという信念にも似た、彼の自負を生んだと言えるが、

己の願望を真っ直ぐに見つめたときには、

”決して小さくはない絶望”を彼に抱かせたのだった。




晋吉が真剣に、そして彼の若さと勇気を持って、これについて考えてみても、

家(いえ) という大きな存在に太刀打ちできる術(すべ)は見つからなかった。


子供地味ていた っと、17歳の彼から思えるような、

唯々純粋で、淡い幼い恋心を春に抱いていた頃の彼は、

春の名を耳にしただけで、また春の姿が遥か遠くの視界に入ってきただけで、

血液が逆流し、血が昇って耳がカッと熱くなるような気がしたものだったが、


絶望ゆえの諦観 を抱くようになってから彼は、

せめて、己は春から絶対の信頼を置かれる医師になり、そう有り続けたい

っと願うようになり、その一点だけに彼の意識は注がれるようになっていた。




春の幼馴染の 雪 の婚礼が間近に迫っていたのは、

晋吉がそんな切ない想いを、一人密かに胸に抱いていた頃であった。





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by Maryam051144 | 2015-08-30 05:03 | おとぎ話”春”

今まで 春 を中途半端にアップしていました。ごめんなさい。


抜けていた部分を此処に記します。

順番が前後しますがお許しくださいまし。








春<3>






春 にとって14回目のその年の春は、例年にも増して美しかった。

それは単に、例年になく寒さの厳しい冬をやり過ごし、

待ち遠しい春を迎えたからかもしれなかった。



春の幼馴染らは 雪 にしても皆、数えの齢で15前後にもなっていた。

中には数年前に嫁ぎ、子供を産み育てていたり、そうでなくとも許嫁がいたり、

雪のように、許嫁との祝言を間近かに控えるような娘ばかりであった。




春の父はこの数年間、自分の娘と年近い村の娘の 祝いごと の話を耳にすると

微笑ましい喜びの気持ちとともに、心も痛めていた。



(春は嫁げる、のであろうか・・・)



春 のいつまでたっても、雲の上を歩いているような心持ちと振る舞いと、

呪わしくも己に似てしまった、虚弱な体を想うと父にはそれは、

”遠い遠い夢のまた夢” のような気がするのだった。





しかし当の本人である春は、

続々と幼馴染や、友達が生家から嫁いでいく話や、花嫁衣装を纏う姿に、

心から喜び、目を輝かせ、頬を薄紅色にし魅入り、聴き入るばかりであった。


そんな娘の姿を遠目に眺める父には、

友の幸せを喜ぶ娘の心の裏に、微塵も影が潜んでいるようには感じられなかった。

その娘の様子のおかげで、父の愁いは多少なりとも癒やされるのだった。




春にしてみればこの様なことに関しては、

とっくの昔に自身の中で答えがでていたのだった。



病がちな身体で生まれ落ちたことは春に、

同じぐらいの年頃の子と己との間にはっきりとした相違を、

物心ついた頃から感じさせ、身体と同じように小さかった心に、

何度となくその事実を、思い知らせも突きつけもしてきたのであろう。


初夏に小川で水遊びをするにしても、

山の急斜面や、野原を駆けるにしても、

誰彼にとって大したことでないことが

己の身にとっては大きな負担になることを、

心ではなく身体で、嫌というほど彼女は思い知らされて過ごしてきた。


他の子は自分とは違うようだ・・・ という疑問が、

”自分がどうやら他の子とは異なり劣っている”

っということに思い至った時から春は、自分の身の上を他の子たちの場合と

同じように考えたり、比較することをやめたのだった。




それは己の体力だけでなくあらゆる彼女の疑問の答えとなった。

どこの家でも父親が一家の生業を主に支えていることや、

雪やその他の幼馴染たちの家のようには 我家の生活は決して容易ではない こと、

なども含まれていた。


そしてそれは適齢期となった今、”祝言”にもあてはまっただけだった。



幼馴染が嫁入りする ということに限らず、

これまで多くの日常生活の成り行きの中で、


他の誰かの場合を引き合いに出して、ではなぜ自分はそうではないのか?


っという問いかけが、春の裡から消滅するようになってから、久しくなっていた。




***************




春<4>



今年の春が例年になく美しく 春 に感じられたのは、

幼馴染の 雪 の婚礼が控えていたからかもしれなかった。



冬の時期から雪の婚礼の準備は着々と整えられていった。

雪の父が繁華な町に出かけ戻ってきた折には、村の誰にとっても、

話だけは小耳には挟んでいたけれど・・・

っというような美しい細工が施された品が、村へもたらされた。


春はこの農村に月に一回やってくる男や女の物売りが広げる品でさえ、

大変興味深く感じられ、自分には眺めるのも勿体無いほどに無縁の品とは承知してはいたが、

それでも好奇心に駆られて、ついつい足を近づけ、目をやらずにはおられなかった。

しかし、雪の父が娘のために手に入れた品々は、それらのものとは比較にならないほどに

素晴らしい品であることが、細工のことなど全く分かりもしない春の目にも明らかであった。



ふと・・・、雪の婚礼衣裳に目をやると、

衣裳の袖には、雪のでも、誰の腕でもなく、ただ風が通されているだけなのに、

それは、若く整った、しなやか、艷やかな、滑らかな女の体と肌を包み込み、

流れるように佇んでいる錯覚を春に与えていた。


花嫁道具にしても、花嫁衣裳にしても、柔らかなひだまりの中で、

新たな夫婦(めおと)生活の美しい彩(いろどり)として、

初々しい花嫁の傍らに置かれるのを、待ち兼ねるかのように、

既にここ・そこへと、優美な気品を匂わせていたのだった。






幼馴染の中でもとりわけ春と親しかった雪が嫁いでしまうことによって、

春が心寂しく感じていることは否めなかった。

がしかし、雪の家にはまだ彼女の妹や弟がおり、

雪はとなり村などに嫁ぐではなし、彼女の親戚筋の同じ村の男の元に嫁ぐことになっていたので、

春の心が打ちひしがれることはなかった。


数年したら今度は雪の腕に、まん丸な林檎のような頬を乳で膨らませた、

嬰児(みどりご)が抱(いだ)かれているのだろう・・・


そんなことが、ふと想い浮かんで来ると、

春の心は寂しいどころか、暖かくもなっていたのだった。




*************



春<5>



春は虚弱体質の娘であったが、
村の男の中には密かに 春 に想いを寄せているものもあった。

代々村医者の家系の長男坊に、晋吉というのがいた。

晋吉は年の程17であったが、
大層背が高く痩身で、それは颯爽とした感を漂わせずに、
見るものに手足と躰のバランスの悪い、不格好の感を与え、
本人もまた、その余分な上背を持て余しているのか、
いつも前かがみの姿勢を保っていた。

その上、近年は父にも勝る医者になろうと、
生真面目に益々磨きをかけて、勉学に励んだためか、近視眼が進み、
17歳の若さで、ぶ厚い眼鏡をかけることとなり、
遠目でみると、彼の父親なのか、彼自身なのか、
ぱっと見たところでは、判別できぬほど酷似していた。


春の母がまだ存命の頃、寒い風が吹き荒れたある晩、
村医者の力を求め、母が 春 を背負い、父がそれを助け、
晋吉の屋敷の戸を叩いたことがあった。

晋吉は、夜中にそんな出来事が起こっていようとは露知らず、
その翌朝になって、普段はひっそりとしている、
彼の部屋の向かい側の障子が中途半端に開けられており、
そこから、今はほとんと患者を診ることがなくなった、
彼の祖父が出て来るのを目にし、
それを不審に思い、その部屋にソロリと近づいたのだった。

彼が足音を忍ばせ障子に近づき、そっと覗いてみると
さして広くもないその部屋の真ん中には、
布団が敷かれ、そこには幼い娘が横たわっていたのだった。

青く白く整った横顔の中で、晋吉の目を惹いたのは、
梅の蕾を思わせる、形の良い鮮やかな紅色をした娘の唇だった。

小さな梅が綻び咲くように、唇が動くのと同時に、
娘の瞳が瞬き、晋吉に向かって

誰?

っと尋ねてきたのだった。

晋吉は躰の真ん中に、一筋の光が差込みそれによって
躰が痺れ、熱(ほて)るような感を覚えたのだった。

慌てて彼はその場から退き、自分の部屋に戻り、
たった今、目にした夢のような光景を思い返し、
無意識にそれを、脳裏に焼き付けていたのだった。


晋吉はその後、父母や使用人の話から、
昨夜の出来事と、己の裡に一筋の光として飛び込んできた
幼い娘の名を知ることになったのだった。




*************





春<6>



その日、晋吉は学舎にいても上の空だった。

学業を終え足早に帰宅してみると、その娘はまだ屋敷の中にいるようであった。



家の者の話を要約してみると、娘、春は数日前から発熱がつづき、

昨夜は風が吹き荒れる晩で、春の家はすきま風にさらされ、

いくら春を温めようにも温める術がなかったという。

熱は高くなる一方でそれを見兼ねた父母が、この屋敷に春を運んできたということだった。


晋吉の祖父 修吉 は、若かりし頃に春の祖父、

春の母の父に当たる人物から、厚恩を与えられたらしい。

そしてそれに酬いるために、

”困ったことが起こったら、いつでも私のところへいらっしゃい”

っと常日頃から、春の母に声をかけていたという。


祖父修吉の意向は、彼の息子で晋吉の父である 永吉 にも、

永吉が、父の医療を手伝うようになった頃から伝えられていた。



春は明け方になって解熱したが、数日に渡る発熱による身体の消耗が激しく、

修吉自らの診断で消化吸収の良い栄養のあるものを与え

数日ここへ滞在させるようにと、はからわれたのであった。




晋吉は部屋で書物を広げていても、気もそぞろであった。



名を春というその娘は、おそらく5・6歳か・・・

晋吉が数えの10の歳になるまで、これまで接してきた祖母や母、姉、従姉妹たちや、

女性の使用人から感じたことのなかった、屈託のない親しみ、

この屋敷を覆い包んでいる形式ばった空気の中に住む人々とはまったく異質の感を、

彼はその幼女から受けたのだった。

そしてそれは、まったく無防備にも一瞬にして、晋吉の心の奥へまで浸透していたのだった。







***************



春<7>




あの娘は両親の元へ引き取られていったか・・・

この数日間、なんとなくいつもとは違った雰囲気が感じられた屋敷は、

いつもの時の流れへと戻っていた。




春を垣間見てから、随分長い年月(としつき)


いつかまた春が急患として訪れるのではないか・・・


などと、春の両親にしてみれば 滅相もない! っという事態を

晋吉は、心のどこかで期待していた部分も、無きにしも非ずであったのだが、

春はそれ以後、屋敷を訪れることはなかった。



晋吉にしても、春にしても、あまり長い間外を出歩くことはなかったので、

同じ村に住居しているからといって、

晋吉が春をみかける機会は、めったに訪れることはなかった、

が、春が屋敷を訪れた数ヵ月後にこんなことがあった。



晋吉はその日、長時間使った目と頭を休めるために、散歩に出かけたのだった。

田の向こうに広がっている空に、白い絵の具で描いたような雲の流れる様を眺めながら、

彼は土手に沿って歩いていた。


日は随分長くなってきてはいるが、陽が顔を出していないと、

まだ寒いと感じる時期だった。


子供達はそんな寒い時期でも、おそらく彼らは一年中でも、

とても家でじっとしていることができず、家で騒げば、

父母や、年の離れた兄や姉に 静かにせんか! っと文句を言われるので、

誰が言い出す訳でもなく、気がつくと皆が河原に集まり、

毎日、毎日同じ遊びをし、そうしては懲りもせず、

仲間うちで言い争いや、小さな喧嘩を繰り返そうとも、

遊んでも遊んでも、まだ遊び足りないような時を過ごしているようだった。


そんな子供達の様子を眺めるではなく見下ろし、晋吉は土手に座っていた。


そういえば幼かった時分でも時を忘れ、

年近い子と一緒になって遊ぶことが、あっただろうか・・・


それほど年が離れていない姉がいたが、こんなふうに連れ立って近所の子供と、

野原を駆け回った記憶は晋吉の中にはなかった。





そんな想いを巡らしていると、



”兄さん 村医者さんの坊か?”



晋吉が振り返ってみるとそこには 春 が立っていた。








*****************






春<8>




再び春に不意を突かれ、晋吉は呆然としてはいたが、

春の姿だけはずっと視界の中央に据えながら、

息を飲みつつ、彼は冷静になろうと試みている最中であった。


しかし、春の方は己の問いの答えを、まだ晋吉が発していないうちから、

瞳にある種のエネルギー、それは 好奇心 というものかもしれなかった、

を湛えながら、言葉を続けていたのだった。


”兄さんの家は、広くて大きいの!

それに、珍しいもの、見たことのないものが一杯あった。

春は、兄さんのお屋敷に二日間もおった。


大きな松の木の上には、カラスの巣があったし、

庭に池がみえたが、金や赤い、錦の色した鯉は泳いでおるんか?

春は、近くまでいって池を覗いてみたくて、たまらんかったわ。

兄さんの家には、絵と書が沢山置いてあるなあ・・・”



晋吉の目の前で言葉を発し続けている娘は、

あの時、晋吉の脳裏に記憶された娘と同じであったが、

彼の記憶の娘にはなかった、温かい血潮を波打たせながら、

そこに立っているのだった。



顔は晋吉が知る誰よりも白く、その白さは、娘の髪の色を引き立てていたが、

よく動く、形の良い唇の色は寒さのせいか、くすんで、紫色を帯びていた。



”あっ、兄さんは 春 のこと知らんな・・・

春は今年7歳になった、でも春は父ちゃんに似て、病気ばかりしとるから

うーんと遊びたくても、あまりあの子たちとは遊べぬし、

兄さんの屋敷に行ったのも、何日も高い熱が下りなかったからじゃ。


父ちゃんも、母ちゃんも春のことを心配ばかりしておる。

でも、病をひどく悪くしまったときには、いつでも村医者さんが診てくれるんだよ。

村医者さんは優しくてな、そりゃー有難い人だ。”



晋吉の脳は、流れるように押し寄せる春の言葉を、一言一句聞き止めようと、

そしてまたそれと同時に、春の表情のほんの僅かな動きさえも、見逃さずに記憶しようと、

これまで学業にさえ使ったことがないほど働いていた。

そしてまた、脳の働きに必要な多量の酸素と血流を送りこんでいるかのように、

彼の心の臓もまた、激しく鼓動していたのだった。





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by Maryam051144 | 2015-08-30 04:57 | おとぎ話”春”




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おとぎ話”春”<1>は こちら からどうぞ




春<21>



診察を終えた晋吉は、再び庭を通って径へでた。

陽は傾いていたが、夕刻というにはまだ間がある時刻であった。


庄助のところを退出しホッとしたのか、来た時よりも彼の足取りは軽く、

道端に咲いている、黄色や紫の小さな野花を目にして、

色鮮やかに可憐な姿よ っと感じ入る、心の余裕まで持ち合わせていたのだった。


晋吉が、庄助の呉服屋が面する大通りへ出ると、

春の陽気のせいか行き来する人は多く、

人々が閑談する姿や、笑い声などが晋吉の耳に聞こえてきたのだった。

そのまま彼は、大通りをまっすぐ歩き進んで行くと、

遠目に、女・子供が、ガヤガヤと集い、賑やかにしているのが見えてきたのだった。



一体あそこで何が起こっているのだろう・・・っと晋吉が注意を傾けみてみると、

体格の良い中年女が、大きな声で、路傍で店を広げている行商男相手に、

品物を値切っているところであった。


中年女も、行商男もこういう場面はお手の物、経験に経験を重ねてきた、

っといった口調で、周囲のものを笑わせ楽しませながら、値段の交渉をしているのであった。

実際・・・この中年女の退屈な日常においては、品を買うことよりも、

品を値切り、人々を笑わせる事の方が、はるかに大きな楽しみであったのだろう。



晋吉は、行商の品に興味があるわけでもなく、

また売買の口上に興味を惹かれるわけでもなかったので、

サッサっと人目につかぬように、足早にそこを立ち去るつもりでいたのだが、

その人集りの中に、思いもかけず彼は、春 の姿を見つけたのだった。


晋吉が遠目からみても、あれは紛れもなく春である っと、

はっきりわかる程に、周囲の女・子供の中でも飛び抜けて、

白い顔と腕をしており、春は相変わらず細い、小さな肩をしていた。


そして、おそらく母親の形見であろうと思われる、古びた地味な色・柄の着物を着て、

中年女と行商男のやりとりを聞きながら笑って、そこに佇んでいたのだった。



・・・すると、脳が命じたわけでもなかったのだが、晋吉の脚は自然と歩を緩め、

人集りを遠巻きに眺めている人々に混じって、立ち止まったのだった。















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by Maryam051144 | 2014-09-03 04:04 | おとぎ話”春”



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おとぎ話”春”<1>は こちら からどうぞ




春<20>



廊下から、ゆっくりとこちらへと近づいてくる足音が聞こえてきた。

その足音は庄助と晋吉が居る部屋の前でピタリと止まって、その人影はこう告げた。


”ご隠居さ~ん、先生のご診察は済みましたか?”



”おう、三ちゃんか。丁度今、終わったところよ、何か用かい?”


っと庄助が応えた。



”旦那さんから取り急ぎ、本日入ったお品をご隠居さんにお目通し願って、
お値付けしてもらうよう申し付けられました。”


”そうかい、お入り”


三郎という名のこの店の番頭が、いかにも客受けするだろう

っと思われる笑みで、顔を皺だらけにして入ってきた。



”若先生、こんにちは。ご診察中お邪魔して御免なさいよ”



晋吉はこれまた、己よりも年上の人に頭を深々と下げられて


”いえ、診察はもう済みましたから。”


っと早急に言葉を返し、己がこの場に長居してしまったことで、

店の仕事が滞ってしまったのではないか、っと恐縮したのだった。




”早速ですが・・・若先生、御前をすんません。ご隠居さん、お品はこれに御座います。


っといって反物を庄助の手に恭しく差し出したのだった。


庄助はその品を受け取ると、老人の手とは思われないような、

優雅で、流れるような手つきで、素早くサッと生地を広げたのだった。




”ほーーーお、これほどまでに手の込んだ品はなかなか見られぬのう。

なんとまあ豪華な柄じゃ。

桜色した生地に、春霞を想わせる線、そして春の花々を

赤・紫・白で、青葉とともに、柄の縁には金糸が使われておる・・・”



庄助の反物を扱う手の動き、晋吉にはそれが腰を痛めた、老人の手とは思えないような、

舞人の手指かと見まごうような、庄助の手の動きに目を奪われたのだが、

その手から溢れおちるように眼前に広がっていった

美しい呉服生地に、一瞬にして目を瞠り、心奪われてしまったのだった。



母や、姉が大騒ぎして、着物を新調することは晋吉も知ってはいたが、

彼はこれまで、そういう煌びやかなものには全く興味を抱いたことはなかったのだった。


しかし今、彼は、己が目の前に突如広がった桜色の世界に、
春 を見、春 を想ったのだった。



そんな晋吉の様子を見て庄助は


”おや、まあ、若先生は医学一筋の大層な堅物ときいておったし、

わしもこの目でみて、先生は噂に違わぬ人物じゃとおもっとったが、

これは意外じゃ、この美しい布地を纏わせて、

傍らに置いておきたいと想うお人がおるんかや・・・”



っと含み笑いで尋ねたのだった。



晋吉は自分の心を見透かされて、ただただ、体を固くし、項垂れて、

気づかれぬように、見られぬようにと思えば思うほど、

血が昇って火照っていく、己が面を隠していたのだった。




”先生は頭だけいろんなものを詰め込んでるお人とは違いますやな。

わしゃ、ますます若先生が気に入りましたぞ。”


っと炒った豆が跳ね出すようにカッカッカっと、

心底気持ちよさそうに、庄助は笑ったのだった。







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by Maryam051144 | 2014-09-01 14:14 | おとぎ話”春”


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春<19>



この時、晋吉の脳裏には、春の母 初 の訃報を知らされたときの、祖父の様子が映し出された。


春の家で初の葬儀を行った時の祖父は、終始一貫淡々と取り仕切っていたという話は、

村の者も、周囲の者達も、口々に話していたので知ってはいたけれど、

初の死を耳にし自室へ向かったときの祖父の姿、我が目に映った、

愕然とし己を失った祖父の足取りは、晋吉にとって忘れがたい光景であった・・・


あの時、祖父の様子になんとなく尋常でないものを己が感じたのは、

単なる思い込みだけではなかったのだろう・・・


っと晋吉はこの時直感したのだった。



晋吉は、己の祖父と、春の母の父親であった善造という人についての関係やら、

初と祖父の関係についてもう少し詳しく、庄助爺に尋ねてみたい衝動に駆られていた。


がしかし、、、晋吉は、今自分がそれを口にすることは、浅はかであるような、

まだ、問うための言葉も己の中で推敲されておらず、

なによりも問うたその答えを、受け取る己の心の準備も整っておらず、

時期尚早のような、、、けれど心のほうは、どんな些細な事でも 春と己の家 に関することは、

どうしても、今すぐにでも知りたい・・・

という、複雑な想いがしばらく彼の心と頭の中で交互に入り乱れていたのだった。



結局彼の理性は、あらゆる己の好奇心をねじ伏せて、

心のなかに浮かんできたあらゆる疑問を問うことを躊躇(ためら)い、

どうしても彼はそれらを、口にすることができなかったのだった。




庄助は、己の語る言葉に明確な ある反応 を示した晋吉の様子に気がついていたが、

晋吉が自分の想いをなかなか言葉にしないのは、

何か複雑な想いがそこにあるのだろうと彼の心を慮って、

話の方向を変える言葉を続けたのだった。


”若先生の御名は晋吉だったかな?
のう、晋吉先生や。名医というものは、村の宝なだけでなく、
一族の宝、家宝でもある、っと、わしはあの時、善造さんに教わったんじゃよ。

腕の立つ主治医がいれば、家の者の健康は守られ、
一家の柱である者も安心しておられるじゃろ。

わしは修吉先生のお父さんに、また修吉先生に、そして今は永吉先生のおかげで、
長生きさせてもろうとる。
そして、わしが日々健やかにすごしてきたことで、
どれほど一族の者たちも安心して過ごしてきたかということも知っとる。

そこでじゃ、・・・これは名医は家宝と心得た爺から、若先生への肩入れじゃ。”


っと言って幾らかの金子(きんす)を晋吉の手に握らせたのだった。


未だ目の前で起こっている出来事と、己の頭と心にうつりゆくこととの間に

隔たりがあった晋吉は、爺に握らせられるままに金子(きんす)を手の中に入れていたのだったが、

己が手のうちのものが金子(きんす)であると気がついたときに、

彼は、驚きの表情をもって、その厚意を辞退することを庄助に伝えていた。

それでも庄助は言葉を続けた。

”若先生のことを皆の者がどのように話しているか、わしも良くしっておる。
修吉先生は己の子供だから、孫だからといって過大評価するようなお人でねえし、
その修吉先生が、おめェさんは医者に向いておる、良い医者になるってんだから、
若先生は名医から、お墨付きを頂いた有望な、滅多にいねえ、お医者様ってことだ。

晋吉先生、これからも医学の道を高い志をもって歩んでくだせえ。
医学のことはちっともわからんが、医者の家に生まれて、医学の道を歩むったって、
てェーへんな苦労があろうさ。そんでオラができることといえば、こんなことぐれェだ。


高価な医学書の購入のたしにでも、なんにでも若先生がお遣いくだせェ。
否、どうしても受け取ってくだせェ。
そしてその代わり、倅、孫、ひ孫の代まで、わしがここに居なくなってもよろしく頼みまさア。
さすれば、わしの子供も、孫も、孫の子供達も安泰、
わしがそう安心できりゃア、ますます長生きができますぞ。”





祖父よりも年長者の庄助爺の口から発せられた、
思いもかけなかった言葉に改めて、
村医者の家に生まれ、医師を目指す己が十字架の重さを、晋吉は実感したのだった。















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by Maryam051144 | 2014-08-25 15:36 | おとぎ話”春”

こちらから画像拝借




おとぎ話”春”<1>は こちら からどうぞ



春<18>





もともと腰痛は庄助爺の持病であったし、その上歳が歳なので、

医者の方も、患者の方も、全快などということは全く思ってもいなかったし、

年々弱っている身体の骨のどこかが転倒した時に、折れなかっただけ幸いであったし、

耐え難いような痛みが治まっていれば、庄助の病状はまずまず良好というのが暗黙の了解だった。


晋吉は患部を診察しながら、最近の腰の様子を伺い、

いつも処方している軟膏と、貼り薬を処方したのだった。

診察を終えてやっと緊張が緩んだということを伝えるような、

晋吉の顔の表情を眺めながら、庄助爺は言葉を発したのだった。



”若先生の横顔やら、立ち居振る舞いをみとると、

まるで修吉先生の若い頃をみるようじゃのう。

わしも若かったが、大先生も若かった。

かれこれ50年も前のことなのに、昨日のことのようじゃ・・・”




っと遠い日を語る庄助爺の顔は、ついさっきまで、診察の際の腰の痛みで多少歪んでいたのとは、

うって変わって、血気盛んだった若かりし頃の、精悍ささえも感じられるのだった。


庄助は言葉を続けた。


”修吉先生は、村医者の家に生まれたが、苦労して医学を学ばれたんじゃよ・・・

わしよりは歳は若かったが、御名の通り高い志をしっかりと抱いて、

立派に医学を修めた、実に偉いお人じゃったわ。


・・・あれはいつだったかのう、修吉さんが十歳(とお)になった後じゃったか、、、

修吉先生のお父上(健吉)が、藩から高貴な方の診察を命じられたものの、

一介の小さな村医者に過ぎなかった健吉先生の高名を妬み、悪意を持った輩の仕業で、

先生は不遇な身に陥れられてなあ。

どういうわけか、高貴な方の病状が悪化して瀕死の状態となってしまい、

その沙汰として潘の命によって、健吉先生は医師としての仕事ができなくなってしまったんじゃよ。


お父上がそういうことになって、村医者さんのところも大変なことになってしまった。

それでも、修吉さんは苦労に苦労を重ねて、

医者の家に生まれたものとして、医学を修めることをあきらめなかったのじゃ。



そして二十歳ぐらいの頃には、修吉さんの勤勉と優秀さをみとめた善造さんが、

彼が立派な村医者として、村人の健康をまもってくれるようにと

医学を学ぶにゃ、何かと物入りじゃったが、金銭的なことを手助けしてくれたことも大きかったがのう。


・・・そういえば、善造さんの末の娘さんが、7・8年前ぐらいに不慮の事故で亡くなってしまったが、


人の命とはわからんものよ・・わしのような老いぼれが腰痛に呻きをあげながらも生きながらえ、

まだまだ先があると思っていた人が、思いもかけない事故で亡くなるとは・・・”




っとここまで晋吉は、庄助爺が語っている話を、己の曾祖父の時代の遠い遠い昔話・・

っと思ってなんとなく聞き流していたのだったが、

思いもかけずに耳から入ってきた 春の母、初の話に驚き、

彼の眼(まなこ)は大きく見開かされたのだった。










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by Maryam051144 | 2014-08-23 01:16 | おとぎ話”春”





こちらより 画像拝借







おとぎ話”春”<1>は こちら からどうぞ




春<17>




織物・反物やら、上質の染めものを取り扱う問屋を商う家に庄助爺というのがいた。

歳は普吉の祖父、修吉よりも上で、

若い頃は、下働きの者と一緒になって、セッセと家業に勤しむ実直な男だった。


店のことは、とっくの昔に息子に譲り、ご隠居様と庄助が言われるようになって久しかったが、

晩秋の頃、屋敷内でちょっとしたことに気を取られ、脚とられ転倒し、

腰をひどく痛めてしまっていたのだった。

もともと働き盛りの頃に、まだまだ若い者には負けられない・・・

っと、重労働を無理して腰を痛め、それ以後、腰痛は庄助の持病の一つであったところに、

こんなことが起こってしまい、そしてまた、季節は例年にない寒い冬に突入し、

彼の腰の病状は一進一退、冬の曇天のように重く、

いつ腰痛が晴れるか定かではなかったのだった。


腰を痛めた時からこの冬の間中、長年のよしみから、散歩がてら茶飲み話も兼ねて、

修吉自身が診察に訪れていたが、爺の腰は春を迎えても、もうしばらく往診を必要としていた。


この日修吉は、大事な診察があって村を離れねばならず、

また息子の永吉も急患が訪れ手が離せず、

永吉は、息子の晋吉に庄助爺の往診を命じたのだった。




普段は散歩でも訪れない村の道を歩いて、晋吉は少し緊張した面持ちで、

店の裏側に位置する、庄助爺の屋敷の門をくぐったのだった。

晋吉の屋敷の庭よりも、景観を重視して手入れがなされている呉服問屋の爺の庭を眺めながら、

色とりどりの花々や、新緑に目を向けた彼の脳裏にふと・・・

春 という名の少女の面立ち が浮かび上がったのだった。



そのまま屋敷の様式美を感じる造りの玄関に踏み入り、

そこで晋吉は己の名と、父の代わりに往診に来たことを女中に告げたのだった。

晋吉は再び緊張を感じ、身も心も引き締め、

案内されるがままに、磨かれた廊下を静かに滑るような足取りで歩いていった。


彼が通された部屋には、晋吉の訪問を心待ちしていたかのような、庄助爺の笑顔があった。


晋吉が庄助爺をこの前にみたときよりも、

すこし面痩せし、手足も幾分細くなってしまった感じはあったが、

庄助爺の笑顔は、晋吉が幼い時分に時々見かけたままに、実直で柔和であり、

彼の一挙手一投足には、年老いて隠居として身を置いてから久しいにも関わらず、

家のものから頼りにされ、慕われている家督としての 凛々しさ が感じられたのだった。













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by Maryam051144 | 2014-08-21 23:52 | おとぎ話”春”








春<2>




春の母が亡くなった後、確かに生活は困窮したが、

母が生活を支えていた時でも、ゆとりという言葉とは無縁だったため

疲弊したり零落しようがなかった。


父は母が存命中にも、煮炊き、薪割り、水汲みなどをしていたし、

春は 父の水汲みや、薪割りの手伝い で出かけはしたが、

彼女の意識は、季節が生む、自然の美しさと神秘に向けられ、それらを堪能していた。

但し冬の時期の水汲みや水仕事は、想像力豊かな春にさえも、

なかなか愉しむことは難しかったが。




春が一緒に来ようが、来るまいが、実のところ父の負担はほとんど変わらなかった。

そしてそれは、春が14回目の春を迎えようとしていても状況は変わることはなかった。



母を亡くした6年前に比べたら 春 は 春なりに成長していたのだろうが、

春の体型は、他の村の娘たちと比較したとき 春 の姿は五つも年下に見えるのだった。


父は畑仕事をしたり、行商に出かけたりしたが

そんなときでも 春 の留守番によって家事・炊事がはかどっていることを期待することはなかった。

春は、煮炊きをしていても薪から上がる煙、鍋から上がる湯気の向こう側に心があったし、

水汲みをしていても彼女の瞳も思考も、空や雲、木々や小鳥の姿を追っているのを

父は知っていたからだった。



それでも父だけでなく、春の幼馴染の雪 という娘も、

春を畑仕事に誘った。


「春ちゃん、明日は家の田に苗を植える日だ。手伝いに来てくれるかい?」


雪だけでなく、雪の両親も、幼い弟、妹でさえ

春が畑仕事を手伝いに来たところで、何の役にも立たないことを承知していたのだが、

春がしばしの間でも、真っ白な頬を桃の実のように上気させ、

陽光に照らされ微笑みながら、握り飯の一つでも口にしたら良いと思っていたのだった。


春 は実質的には何も生まず、生活能力の欠如した、役立たず者であった。


それでも皆、この不憫な娘の笑顔の中に、心を動かされる何かしら・・・

言葉では説明し難いある種の 安らぎ・親しみやすさ を感じるのだった。


春はその安らぎや親しみやすさを、虚弱な体質とともに、父から譲り受けていたようであった。










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by Maryam051144 | 2014-02-04 23:22 | おとぎ話”春”


 

 

春 <1>







娘は食の細そうな、小さくかよわい身体つきをしていた。

彼女の真っ白な頬の左横と着物の裾からのぞく、小さなふくらはぎの肌からは、

明瞭に緑の血管が浮き上がっていた。

細く、小さな身体相応の手の先の爪は、薄く平らで、

縦にいくつもの線が走っており、

爪ひとつだけをみても、彼女の健康の乏しさを示してた。




普段は黒目がちな娘の瞳は、光に照らされると、

澄んだ浅瀬のように陽を吸って明るく澄み透り、


また娘の小さな心が揺れ動くと

丸く整った上下の唇を噛み締める癖を持っていた。


長い髪は、湿気を帯びたように光を放ち、

しっとりと豊かに、細く華奢な肩と背中にゆったりと腰かけていた。


全く 春 の取り柄は 器量 だけだった。



春の季節に生まれたからであろうか?

娘は 春 と呼ばれていた。




春 の母は既に他界していた。

しかし春 の虚弱な身体は母ではなく、父譲りであった。


春 の母は並の体力を有した女(ひと)であったが、

病弱な夫の代わりに力仕事し、行商に出、

その上、虚弱に生まれた愛娘の看病に、心と身体を次第、次第に細らせていった。

母は一家を支えるために休む暇なく働き続け、

春 が8つの歳に、行商からの帰宅途中不慮の事故で亡くなったのだった。



春の父には兄がいた。

兄には子がなく、比較的裕福な生活をしていたので、

一家の柱に先立たれた二人を憐れに思い、

命をつないでいける程の援助を言い出してくれたのだった。


しかし、この心優しい伯父の家計は、

しっかりものの嫁の意向で、常に取り仕切られていた。


この嫁は自分の姪のためには、田舎の村娘には贅沢すぎるほどの着物と帯を

数年に一回こしらえ送り届けていたが、

夫の姪のみすぼらしい身なりと、最低限の生活には、

全く心を痛めることはなかったのだった。



それでも 春 にとっての14回目の春が訪れようとしていた。






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by Maryam051144 | 2014-01-31 17:10 | おとぎ話”春”