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Maryam'sHP

maryam0511.exblog.jp

イランのTEHRANより日々思いついた言葉を発信しています。

春<9-16>

春<9>




春は、しばし言葉を発するのを止めようか・・・っと想ったのだが、

晋吉の様子をみると、彼は己の言葉をうるさがっているどころか、

耳を澄まして聴き入っているようにみえたので


さらに、言葉を続けたのだった。


ここに誰かが居るのに気付き、

それが村医者の坊、あのお屋敷の人だ!っと思った時から春は、

頭と心の中に、次から次へと清水のように

いろんな事柄が湧き上がってきたのだった。


”春はひどく痩せておるよな。。。?病人のような気味の悪い白い顔をしとるか?

春の顔を見るものは皆、口を揃えてそんなことを言うのじゃ。

みたところ 村医者さんの坊 もあまり顔の色は良くないようだが・・・”


っと問う春のひどく真剣な表情から、

この事柄に関しては是が非でも、将来の村医者の答えをどうしても聞かねば気が済まない


っという彼女の強い想いを感じた晋吉は、



”色白は七難隠す・・・とかいうて、

白い肌は綺麗なおなごの証ではあらぬのか、?

己の姉はどこかへ出かけるときは、

少しでも白くしようと、顔に粉のようなものをたーんと塗っておるぞ。

おなごの肌とは、白いものではなかろか。”



晋吉は、やっとこれだけのことを発することができたのだった。



その言葉を聞き春は、はにかむように笑うと、

直ぐにまたこう言葉を続けた、





”兄さん、名はなんと?姿を、あまり見かけぬな・・・

兄さんも、あの子らとは遊ばぬからな。”

春は、父ちゃんと、母ちゃんに習って、すこ~~しばかり字は読めるが

書は読めん、まったくわからん。


村医者さんが、父ちゃんと母ちゃんにゆっとったよ、

有難いことに、孫は医者になって当たり前だ、と想っているようじゃ、

年の割に、落ち着いておって、良く見、良く聞くことができるから、

医者に向いておる・・・っとな。”





”己の名は 晋吉 じゃ、春・・・”


っと言って

晋吉の身体にはまた、熱いものが走り抜けたのだった。

己の口から 春 という名が突いて出てきただけであったのに、


ひどく乱れた心を意識し、

この己の動揺が、春 に伝わらなければよいが


っと乱れた心で晋吉は想ったのだった。










春<10>






己の動揺を誤魔化すかのように、晋吉は医者の息子らしくこういった。


”身体の具合はすっかり良いのか?

陽が傾いたの。陽が落ちたら急に寒くなろうぞ。

風邪をひくから、家路を急ぐが良い。”



春はまだ話し足りなさそうに、物足りなそうな素振りを見せたが、

晋吉の様子と言葉を、村医者の言葉と同じような気持ちで受け取ったのか、

小さく黙って頷いた。


その様子をみた晋吉は、何の疑いもなく、

素直に己の言葉を聞き入れた春の様子に、心が咎めたのだった。


春の瞳が敬意を湛え、上から下まで晋吉の姿を眺めた後、

彼女はゆっくりと頭を下げ、くるりと背を向け、駆け出していった。


緩(ゆる)やかに、豊かに流れるような髪を揺らしながら、

次第に遠ざかって行く春の姿を眺め、



春との別れは、己が言い出したことなのに・・・

あの娘も己も、まだ話し足りなかったのに・・・



晋吉の心は、後悔していた。





遠くへ走り去って見えなくなってしまった春の姿から、

己の足元に視線を移した晋吉に、

つい先ほどまで、春の豊かな黒髪を結っていた、

鮮やかな紅色をした布が落ちているのがみえたのだった。



晋吉は両膝を曲げ、前かがみになって腕を延ばし、

恐る恐る触れると、それをゆっくりと両方の手のひらの中に包み込んだのだった。



そして、


これは確かに春の分身なのだ・・・


っという想いが強く湧き上がってくると、


晋吉は両の手にギュッと力を込め、


今の今まで、己が身近かに感じていた、

春の血潮のように赤い色をしたその布を、

胸の前へと、引き寄せたのだった。










春<11>



春の母 初 が亡くなったのは、晋吉と春が土手で再会した次の年の晩夏だった。



初 は、行商に出向いた先で荷を売り、

得た代金で村で売れそうな品物を買い入れ、

それを再び背負って、夫と娘の待つ村へ向かっていた。



そしてその帰途で、川に渡した吊り橋から転落したのだった。

吊り橋といっても、その川は大きくもなく、谷川でもなく、

雨季でも大した水嵩にはならなかったし、

特別に流れが早かったわけでもなかった。




初 がその橋を渡ろうとしているのを、

少し離れたところから見ていた村人の話によると、


夕刻というには早く、まだ陽が照っている明るい時刻で、視界も悪くなかった。

唯、その日は晴れていたが大変、風の強い日で、

春の母は吊り橋を渡り始めてまもない場所で、背負った荷が風に煽られたのか、

吊り橋が大きく揺れたのだろうか、突然均衡を崩し橋から転落していった。



その村人は急いで川に入って彼女を抱え、すぐさま川からその身を引き上げた。


が不運にも、初 が橋から落ちた場所の下には岩があった。

そしてその岩に、彼女は頭の側面を強打していたのだった。

岸に引き上げた時には、彼女は意識不明であったが、まだ微かに息をしていた。

しかし、まもなく息を引き取った


とのことであった。




おそらく 初 は、疲れが溜まっていたのだろう、

そして、彼女の荷がもう少し軽かったならば、

彼女の身がもう少し重かったならば、

風に煽られ均衡を崩しても、橋から転落することはなかっただろう。

強風が吹いていなければ、全く何事もなく橋を渡りきっていただろう。


そしてまた、転落した場所に岩がなかったら、命を落とす事もなかったのだろう・・・


っという不運が幾つも重なった事故であった。






春<12>




春の両親には、大した身寄りも、頼りとなる身内もなかったのだが、

こんな風に突然、幼い娘 春 を遺して逝かなければならなかった 初 、

そしてこんなに突然、大切な人に逝かれてしまった春の父 清治 の心持ちは如何程か・・・

っと慮る、村の人々の力で、葬儀はとりおこなわれた。



このように、葬儀に村人の協力を得られた理由(わけ)には、

亡くなった 初 の人柄というのもあったろうが、

その多くは、晋吉の祖父、修吉の力添えであった。




修吉は訃報を耳にすると、何かの間違いではないか・・・

っといった面持ちで、まるで雲の上を歩いているような足取りで

無言で自室へ向い、しばらくの間そこに篭っていたが、

やがて、喪服に着替え春の家へと出かけていったのだった。



修吉が到着したとき、春の小さな家には、既に村人の多くが集まっていた。


喪主である清治は、普段にも増して弱々しく、消え入りそうな姿で、

変わり果てた姿となって帰ってきた妻の傍に座っているのが精一杯であった。


修吉は清治の隣に腰を掛けると、


”もう何も心配するでない。
そなたは、そこで安らかにゆっくりしていられよ・・・”


っと、今はもう屍となった 初 に向かって語りかけたかと思うと、

スクっと立ち上がり、初 の葬儀を取り仕切り、

細かい指図を、村人のひとりひとりに示し、

葬儀費用のほとんどを、彼が支払ったのだった。



修吉のその言動を目の当たりにした村人は、

徳の高さとはこういうことをいうのだろう・・・っと感じ入り、

彼の指示に従うのが 死者への供養 と解し、

我も、我もと彼の指示を仰いだのだった。












春<13>



春の母、初が亡くなったという知らせを受けた時の、

祖父修吉 の衝撃は一通りではなかった。


そしてその様子は、


生死に関わる緊迫した状況にも、動揺することなく、

常に冷静に物事を判断し、的確な措置を施す 医師 として、

数十年という長い間、村人が信頼を置いている

祖父 でも、これほどまでに心を揺るがすことがあるのか・・・



っと



晋吉が多少の驚きを感じるほどであった。


但し、修吉は知らせを受けた直後は衝撃のあまりに、

精気を失ったかの如く自室に入っていったものの、

しばらくして再び皆の前に姿を現したときには、普段の彼の様子に戻っていた。



働き者で正直で、善良な一人の村女の唐突な逝去を、

悲嘆しないものは、一人としていなかったのも事実であったから、

修吉の悲しみが如何程のものであろうとも、それを不審に思うものはなかったのだが・・・



我が祖父でさえこの悲嘆。

母急逝という事実を前に春は、どんなふうに過ごしているのだろうか



っと、晋吉の心は気が気ではなかった。



正直なところ晋吉には、初 という一人の女性を亡くした悲しみというものは、

ほとんど感じることができなかった。

晋吉の心痛の全ては 母を亡くした春 に起因するものであった。


そして、


11歳の己に何ができるというのか。

お悔やみの気持ちや言葉が、齢8つの春に何の支えになるというのか・・・


初 の急逝を晋吉は、亡くなった彼女を悼むものとしてよりも、

一家の柱であった、初という母親を亡くした春の、力にも心の支えにもなってやれない、

己の矮小さ・不甲斐なさとして噛み締めていた。


そしてそれほどまでに、春を愛おしく感じている、己の気持ちの甚だしさを、

晋吉はこの時自覚したのだった。







春<14>



一家の大黒柱であった 初 を亡くした春の家は、

比較的裕福な暮らしをしていた 清治 の兄が、

病弱な弟と姪を不憫に思い、

二人が命をつないでいける程の援助を言い出してくれたことによって、

なんとか家計が回っているようである・・・


っという噂を、診療所にやってくる村人から晋吉は知った。


晋吉は春の母 初 の死をきっかけに、医者になる志を強くした。



この出来事がなくとも、医者以外に己の未来を考えるだけの勇ましさを、

晋吉はもともと持ち合わせてなかったし、

この家に生まれたサダメとして、医者という十字架を負っている

っとそれまで、少なからずも彼は考えていたのだが、

初 の死後は、自らの選択として村医者の十字架を受け入れるようになり、

祖父や、父から認められる程に医師としての技術も知識も身につけ、

早く診療所の仕事を任せられるようになりたい

と晋吉は思うようになっていった。



っと言っても、

早く一人前になって春を娶る、春と夫婦になって彼女を支え、護りたい

などということを、彼は思い描いていたわけではなかった。



何はともあれ、自分が一人前にならなければ、

人を支えてやることなどできるはずもない


っという世の理を察知したからかもしれなかった。



彼は、学業に余った時間があれば、

祖父や父の書斎の専門的な医学書を紐解くようになり、

父に急患が訪れたときは、診察室で父の傍らに控えるようになっていた。




勿論、春への想いを忘れたわけではなく、

春に逢いたい という気持ちはいつでも抱いていたし、

彼が 春 と出会ったばかりの頃のような

”心惹かれる可愛い娘(こ)”っといった、”淡い恋心”だけでは、

どうにもならない現実を理解する年齢になっていく程に、

ますます 春に逢いたい っという気持ちは、

晋吉の心に強く募っていったのも事実であった。



そして日々医者を目指し学ぶことが、彼のその衝動を抑制し、

春に逢う、春の前に現れるにしても、春の支えになれなければならぬ・・・

っと晋吉は、己に言い聞かせるようになっていた。



15・6歳になった頃には晋吉も、

春の家と自分の家の生活の様子の甚だしい違いが、どんな意味を持つのか?

っということも、受け入れ難くはあったがはっきりと理解するようになっていた。


社会の仕組みを理解するということは、

己の可能と限界の境を垣間見ることなのかもしれぬ・・・


っと彼は感じていた。



それでも少なくとも・・・


己は村医者としてならば、病弱な春を一生支え、護ってやれるはずである


っと晋吉は強く信じていたのだった。










春<15>





晋吉が父の診療所に顔をだすようになって、3・4年程経過した頃、

彼は17歳になっていた。

一人前とはまだまだ言えないものの、

ありきたりの感冒症状や、ちょっとした怪我の処置・処方ぐらいは身についていた。


17歳となった彼は、春と出会った頃の少年の面影を残しておらず、

学業のために頭を使いすぎて、体重の方には栄養が回らず、

背の高い祖父・父の血を受けて、

上背だけが勝手に伸びていってしまったような感を、人に与えていた。


おまけに、分厚い眼鏡をかけ、書籍を読んでいても、診察助手をしていても、

村の通りを歩いていても、その有り余った上背を持て余すかのように、

いつも前かがみの姿勢をしていた。

年齢の割に、いつも少しくたびれたような面持ちにみえ、

かと言って、不機嫌な様子は感じられず、

落ち着いた彼の物腰や、低いけれど聞き取り安い声や、穏やかな話し方は、

父親よりも祖父のそれを受け継いでいた。



春は、風邪などのために診察に訪れる時、

また、父親の具合が悪く付き添いとしてやってくる時でも、

以前からの習慣のままに、晋吉の父のところではなく、祖父修吉の元を訪れていた。

それでも年に数回程ではあったが、修吉が不在の折には、

診療所で晋吉と春が顔を合わせることもあった。




春は、母が亡くなる前の年に晋吉に初めて逢った時から、

晋吉 の名を記憶していたし、その記憶の中の彼の姿と、

彼女の細い顎を咽喉元から離して、上に向けなければ、

その顔を見ることができないほどに、背丈の高い男性は、

ひどく異なって見えるけれど、


背丈と同じく、縦に引き伸ばされた彼の面差しと、変声期後の声は、

命の恩人、家族の恩人とも言える、村医者さん(修吉)に大層似ている・・・


っと晋吉の横顔をチラリと覗き見るたびに感じていたのだった。



また、幼かった二人が偶然に出逢ったあの時に春が抱いた、

彼への尊敬の念は益々強いものになってもいた。


それは、近年村の者達の間で語られる、


”村医者さんの立派な後継ぎのおかげで、この村は子供の代、孫の代までも安泰である”


っという評判こそが、あの時晋吉に対して抱いた尊敬が、

全く正しかったことを裏付けるものだと、春は感じていたのだった。






春<16>



少年よりも、少女の方が早くに、身体的成長期を迎えるためか、

春の幼馴染の 雪 が、婚礼をまもなくに控えていた年には、

晋吉と同年代の娘たちはほとんど嫁いでおり、

彼よりも少し年若い娘たちもまた、次々と縁談がまとまってゆき、

多くの娘が、嫁ぐ準備をしていた。


そう言う意味では、華奢で幼く見えたかもしれなかったが、

数え年で15という齢(よわい)の春も、村の年頃の娘の一人には数えられていた。


しかし春は、その当時でも貧しい部類にはいる食生活をしていたことも原因し、

また生まれつき骨格が細かった、太れない体質であった等の、遺伝的なことも重なり、

同じ年頃の娘が、ふっくらと丸みを帯びて、

女性特有の体へと変化していく年頃になっても

それらの変化は彼女から、ほとんど感じられることはなかった。



それでも、血管が透けてみえる程に青みを帯びた白い肌、

その透けるような色の白さを一層引き立てる、

豊かな黒髪と澄んだ黒い瞳の、春の整った美しい顔に、

胸ときめかしている村の若者は、実は、晋吉以外にも数人いたのだった。





幼少から虚弱であった春も、十歳(とう)を超えた頃からは、

緊迫した病状に陥ったり、数日間も高熱を発したり、

肺炎を併発することは希になっていた。

人並みの体力の半分以下しかなく、

相変わらず、一年中風邪をひいているような、

弱々しい日常を送ってはいたけれども・・・



そんな生まれつき虚弱な春の健康状態を、

春の父親のように我が身以上に心配し、

それゆえ、村医者の重い十字架さえも自ら背負う決意をした、

晋吉の心も本物であれば、


己以外にも彼女に心惹かれている村の若者が、

どれほど嫁として春を所望しても、

身体が弱く、子供を産むことさえも危ぶまれる娘は、

農家(いえ)の跡取りの嫁として、全くもって不適切であるという一点から、

春の縁談がまとまることはほとんど有り得ないであろう、

っということを ”心底有り難い”っと思っているのもまた、晋吉の心だった。





病弱な春は嫁としてどこの農家(いえ)からも認められないことは、

確かに晋吉にとって”大きな救い”であったがしかし、

それは同時にまた、10歳(とお)の頃から春に並々ならぬ好意を抱いてきた晋吉が、

春を己の嫁として、家の者から承認してもらうこともまた、有り得ぬ事をも示しており、

その点では晋吉とて、村の農家の跡取りと全く同じ立場であった。

晋吉の場合はその上に、村医者の家柄の嫁として、春がそれに相応しい家(いえ)の娘であるか・・・

っという問題も存在してもいたが。


この変え難い事実は、個人よりも絶対の重きを置かれる 家(いえ)

という存在を感じた時から、彼は認識していただろうし、それ故に

”己は村医者としてならば、一生春を支えていけるのだ”

っという信念にも似た、彼の自負を生んだと言えるが、

己の願望を真っ直ぐに見つめたときには、

”決して小さくはない絶望”を彼に抱かせたのだった。




晋吉が真剣に、そして彼の若さと勇気を持って、これについて考えてみても、

家(いえ) という大きな存在に太刀打ちできる術(すべ)は見つからなかった。


子供地味ていた っと、17歳の彼から思えるような、

唯々純粋で、淡い幼い恋心を春に抱いていた頃の彼は、

春の名を耳にしただけで、また春の姿が遥か遠くの視界に入ってきただけで、

血液が逆流し、血が昇って耳がカッと熱くなるような気がしたものだったが、


絶望ゆえの諦観 を抱くようになってから彼は、

せめて、己は春から絶対の信頼を置かれる医師になり、そう有り続けたい

っと願うようになり、その一点だけに彼の意識は注がれるようになっていた。




春の幼馴染の 雪 の婚礼が間近に迫っていたのは、

晋吉がそんな切ない想いを、一人密かに胸に抱いていた頃であった。





by Maryam051144 | 2015-08-30 05:03 | おとぎ話”春”

by Maryam F D