存在を感じていればいる程に 追記の追記1
存在を感じていればいる程に 追記 に関し、
Wasabiさんから以下のお言葉を頂戴した。
”どのような形態にしても存在というものは
頭の中に常に置いています。”
こちらの言葉を拝見し、
存在、頭 というものに対する概念が彼とわたしではズレているのだろうな・・・
っとわたしは思った。
Wasabiさんは、存在イコール認識しているもの
ということを仰っているか…
頭の中で認識しているもの・・・なのか?
それで思ったのは
わたしはここでもやっぱり、天邪鬼のへそ曲がりで、
頭 というものに、いろいろといっちゃもんをつけて、
頭 を全く得体のしれないもの
と認識してるんだろうと。
脳みそが存在している身体の部位を脳と考え、
死んで脳みそがその働きをストップすれば、
意識も頭脳の働きもストップすると考えるのが、
一般的なんでしょうけれど・・・
実はわたしは、そう思っていない。
幸か不幸か、17歳の時に呼吸と心臓が止まっていたときに
意識もあったし、思考もしてたし感情もあった、
っということを身をもって?経験して、
死がすべての終わりとは、
それから私は思えないでいる…
思考は通り抜ける風、
感情は風にゆらゆらする湖面、
意識 はそれらよりもっと深淵な感じで、
湖の底が鏡のようになってそれらの情景を眺めている感じ。
そして、脳みそを含めた肉体が消滅してもそれらは消滅しないのならば、
意識とか認識、思考というものと身体のある一部としての”脳”というものを、
可能ならば繋げて考えたくないっと思っている。
その理由はわたしが、
脳というものが本当はどこにあって、
その正体は何なのか?全く定かでない
っと感じているからで、
もっと詳しく述べると、
意識・思考・感情などを認識する脳はこの世という空間だけのものではない、、、
いうなれば時空を超えたところともリンクしているのではないかと思っているからだった。
(つづく)
by Maryam051144
| 2015-07-01 00:14
| 私見